Tuesday, 28 July 2009

COLUMN-〔インサイト〕適切な情報収集がイスラム金融ビジネスへの近道=国際協力銀 吉田氏

http://jp.reuters.com/article/forexNews/idJPnTK028503520090724

前回と前々回の本コラムでは、イスラム金融の現状についてやや硬めに海外事情を紹介した。今回は、イスラム金融に接する際のココロの準備について、 筆者の体験も交えながら柔らかめに論じてみたい。というのも、日ごろ様々な形で日本人に対しイスラム金融の情報発信をする中で、多くの人がイスラム金融に 距離感を抱いていると見受けられるからである。

 

 個人利用者としての観点からみると、現代のイスラム金融は、想起しがちなイメージとは異なり利便性は相応に高い。マレーシアやドバイの都心部には 多くのイスラム銀行の支店・ATMがあり、一般の銀行とほぼそん色ないサービスを提供している。筆者も、ドバイのシェイク・ザイド通り沿いのドバイイスラ ム銀行の支店やクアラルンプール中心部の商業施設にあるクウェート・ファイナンス・ハウスのATMで、何の問題もなく現地紙幣を引き出したことがある。一 般に、預金や住宅ローン等に加え、クレジット・カードや自動引き落とし、インターネット・バンキングなどができるイスラム銀行も少なくない。実際、マレー シアのCIMBは、ほとんどの国内支店で一般金融とイスラム金融の支店を併設し、一般とイスラムの両方式で同じ商品を提供している。

 

 <身近に感じられない理由>

 

 このように、イスラム金融のハードルは案外低いものなのだが、日本においては、種々の報道等にもかかわらず、イスラム金融が身近なものに感じられていないように見受けられる。その理由は2つに大別できると思う。

 一つは、イスラムそのものへの意識の遠さである。イスラム圏である中東・北アフリカ、東南・南・中央アジアが地理的に比較的遠いこと、日本に居住 するイスラム教徒が少ないことに加え、テロや断食などから来るネガティブで特異というバイアスがなお強いことなどもあって、イスラム全般につき必ずしも芳 しくないイメージを抱く人は決して少なくないだろう。その名のついた金融に、何か怪しげな印象がまとわりついてしまっているのは、ある意味仕方がないこと なのかもしれない。

 こうした意識の問題は、すぐに解決する訳ではないだろうが、中東ペトロダラーの動きやそれこそイスラム金融が日本で認知されるにつれ、随分と改善 したように思う。中東の人々が出席するビジネスセミナーなどでは、少なからぬ日本人が中東のビジネスマンと陽気に話す姿をみかける。ドバイに進出する企 業・金融機関も増えた。こうみると、経済的関係の深化は、イスラム全般への意識が良好なものになる上で重要な糸口と言えるだろう。最近は、日本人に対して 「アッサラーム・アライクム」とあいさつしても、「アライクム・サラーム」と返してくれる人が増えた(いずれもアラビア語の挨拶で、イスラム圏で用いられ るもの)。

 

 <質的に十分でない情報発信>

 

 イスラム金融が身近に感じられないもう一つの理由は、イスラム金融の最大の特徴でもある「金利を使わない」という点が与える「奇異なもの」との印 象である。一般の金融システムをみると、個人による預金や住宅ローン、企業による借り入れや債券発行、銀行による短期金融市場からの資金調達や日銀による 金融政策など、金融取引の多くの場面で価格機能を発揮するのが金利である。「イスラム金融=利子なしの金融」との認識だけ持つ人と会話すると、筆者に対し て、金利を用いなければ一体どのように金融取引を行うのか、銀行は儲かるのか、との疑問が最初に寄せられることが多い。

 ここで強調したいのが、イスラム金融とはいっても、その取引構造については、一般的な金融にも同様のものを見出すことができるという事実である。 例えば、詳細については拙著や専門書等を参照されたいが、ムラバハというマージン賦課方式の商業取引向け金融は、割賦販売と同様のものと捉えることができ るし、ムシャラカという共同出資金融は、ベンチャーキャピタルがその範疇に入ると言える。ムダラバという委託方式の金融は、信託やファンドビジネスと同様 のものであり、イジャラはリースそのもの、ワカラは金融取引に係る手数料である。アラビア語の専門用語を除けば、金利という概念は直接用いていなくても、 一般の金融にも該当する取引があるということは容易にお分かりいただけよう。

 

 認識が不十分であるという問題を解決する上では、より適切かつ多くの知識が普及することに期待するしかない。日本語のイスラム金融の書籍は既に 10冊以上出版されているが、中には、世界のイスラム金融専門家の目から見れば、必ずしも正確とは言えない記述も少なからずあり、また、質的にも十分な情 報発信がなされているとは言い難いのが現状である。そして、そうした情報を鵜呑みにすると、イスラム金融に対して誤った認識を持つこととなってしまうので ある。

 例えば、イスラム金融の課題として「教義の解釈が国・地域や学者(イスラム金融取引の教義上の適切性を判断するイスラム教の有識者)によってまち まちなので、これを統一する必要がある」という点がしばしば挙げられるが、これは適切でない情報発信の典型例と言えよう。こうした情報により、イスラム金 融ビジネスはやりにくいと思ってしまった日本人金融関係者は決して少なくない。一方で、トップクラスの業界評価を誇るマレーシア人学者モハド・ダウド・バ カール博士は、「統一すべきとかすべきでないとかという議論ではなく、統一は不可能だし、そもそも解釈のばらつきはさほど多くない」と筆者に語ったことが ある。すなわち、日本語文献で声高に「課題」とされていることが、専門家の眼にはそう映っていないのである。このため、情報の受け手としては、こうした日 本語文献の情報を鵜呑みにすることなく、海外専門家を中心とするより広い範囲からの情報収集に努めてほしいと思う。もっとも、長い時間をかけて今後日本で のイスラム金融の理解がグローバル・スタンダードに近づけば、不適切な知識は淘汰されていくのではないかとも期待している。

 

 多くの日本語文献では、専門用語の概要的な説明にとどまっているものが多いのだが、むしろ、先に紹介したようなアラビア語に怯えず、また専門用語 もどきに騙されることなく、金融取引を客観的に捉えていくことが、非ムスリムが大半である日本人の金融マンがイスラム金融を学んでいく上での近道だと思っ ている。ただし、イスラム的要素を軽く考えるべきと言っているのでは決してない。難しく考えずフラットに、予断を持たず宗教的要素は専門家にお任せしつ つ、というのが、筆者のオススメする、日本人金融マンにとってのイスラム金融の理解の深め方である。

 

 国際協力銀行・アフリカ室長代理、早稲田大学ファイナンス研究センター・客員准教授 吉田悦章

 

 (24日 東京)

 

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